タイトル阿片王・里見甫の秘書だった伊達弘視。岡田芳政も

(『阿片王 満州の夜と霧』佐野眞一著から抜粋)

里見甫は、中国各地のメディアの統合を図って「満州国通信社(国通)」のトップに座り、その後には上海でアヘンの密売をして「阿片王」と呼ばれた男だ。

彼の中国名は「里見夫」で、東亜同文書院を1916年6月に卒業している。

伊達弘視は、晩年の里見甫の秘書的な存在だった。

彼は伊達宗嗣の名で活動し、伊達順之助の息子を騙っていた。

満鉄で働いた伊藤武雄は、『われらの生涯のなかの中国』という本で、「里見甫を一番よく知っているのは、徳岡照と伊達宗嗣だ」と述べている。

徳岡照は、満鉄の上海事務所の調査課長だった人で、里見甫に目をかけられていた。

里見甫が再婚した相手は、湯村治子である。

治子と前夫の間に生まれた啓助は言う。

「父(里見甫)は、伊達を信頼していた。

父が自伝を口述筆記させたものを、伊達は『私が何とか(出版)します』と言って、持って行ってしまった。
あの原稿は返してほしい。」

伊達弘視は、1987年5月に顔見知りの軍事評論家ら4人と共謀して、米軍・横田基地から機密文書を盗み出し、共産主義国に売り渡して逮捕され、懲役2年6ヵ月の実刑判決を受けた。

伊達弘視は、広島の陸軍幼年学校から陸軍士官学校に進み、戦前のエリート軍人となるコースを歩んだ人である。

だが伊達順之助の嫡男である伊達宗義は、こう語った。

「伊達宗嗣(弘視)には、もの凄く迷惑しているんです!

彼は『順之助の忘れ形見』と吹聴していたが、私ども伊達家とまったく関係ありません。

とんでもない詐欺師ですよ!

彼と陸軍士官学校で同期だった男が、『注意して下さい、嘘ばかりつく奴です』と忠告してくれた事がありました。」

伊達弘視の弟も、こう語る。

「弘視はどんでもない人間です。身内に迷惑ばかりかけている。

あれが横田基地スパイ事件で捕まって、刑務所から出てきた時、オレが身元引受人になって自宅に引き取った。

ウチには6ヵ月くらい居たが、ある日に突然、何の断りもなく居なくなった。

それきり、何の音沙汰もない。部屋に服や本を全部置きっぱなしにしてね。

あいつが逮捕された時も、オレが未払いの家賃を払い、部屋の荷物を全部こっちに運んだんだ。」

弟さんの家に入り、弘視が出所後に居候していたという部屋を見せてもらった。

書籍が本棚にぎっしりで、マルクスやレーニンなどの研究書、月刊社会党などの雑誌、ほかには中国関係の書籍が多かった。

私は、東京都にある伊達弘視の住むアパートを訪ねた。
2002年の夏だった。

弘視は素直な態度で部屋に招き入れたが、こう語った。

「このアパートに10年住んでいる。

10年前に膀胱腫瘍の手術をしてな。それ以来ここで暮らしている。

スパイ事件では、ソ連大使館から機密書を渡した謝礼として1億円をもらった。

警察に没収されなかったのかって?されるわけがない。税金もつかないカネだ。

銀行に預けて、1週間に1万円ずつ降ろしている。

オレは贅沢しないから、年金とそれで十分やっていける。」

伊達弘視への取材は10回以上となり、延べにして30時間に及んだ。

彼の話は、眉唾だろうと思っても、調べてみると大筋で正確だった。
記憶力の確かさには驚嘆した。

伊達弘視は、1924年12月に東京で生まれた。

前述のとおり、広島の陸軍幼年学校に進学した。

陸軍士官学校に進学し、水戸にある航空通信学校で敗戦をむかえた。

その後は丸の内にある山西実業公司に就職したが、そこで岡田芳政という旧軍人(元陸軍大佐)と知り合った。

岡田芳政は当時、ヤミ屋をやっていて、中国との密輸もしていた。

岡田芳政は、『続・現代史資料(12)阿片問題』の月報に、「阿片戦争と私の体験」という一文を寄せている。

さらに『中央公論<歴史と人物>』(昭和55年10月号)に、「中国紙幣偽造事件の全貌」を載せている。

それによると、芳政は日本陸軍の諜報・謀略の総本部といわれた、「参謀本部・第八課」に所属し、「梅機関」の影佐禎昭や、陸軍中野学校をつくった岩畔豪雄の下で働いた。

そして中国において、偽札作りや、阿片の売買に関わり、里見甫とも知り合った。

中国紙幣の偽造では、中国の秘密結社である青幇の大ボスである、杜月笙の名も登場している。

伊達弘視が岡田芳政を通じて里見甫を知ったのは、1960年代の前半だった。

弘視は言う。

「オレは当時、中国の経済地図を作って売っていた。

それが岡田の目にとまり、里見に見せたところ里見も興味を持ってね。

それから里見の所へ出入りするようになった。」

岡田芳政の長男の泰聿は語る。

「中学生の時に両親に連れられて、里見さん夫婦と一緒に食事したことがあります。

我が家には、阪田誠盛さんや児玉誉士夫さんも来た事があります。

父は里見さんを買っており、『群を抜いた人物だ』と言っていて、児玉さんについては『たいしたことのない奴だ』と言ってました。

父が戦後になってから中国と密輸をしていた?
それは分かりません。伊達さんも知りません。」

上で言及された阪田誠盛は、日本陸軍に依頼されて、熱河省でとれた阿片のトラック輸送や、中国国民党軍の攪乱を狙って上海で偽札工作をした人である。

(2023年11月2日に作成)


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