『日本史の勉強』
「日中戦争(満州事変~日本の敗戦まで)」の目次

日中戦争の大略

軍部(陸海軍の中央機関)の構成と内情について

海軍内で「艦隊派(統帥派)」が勝つが、博恭の独裁下となる

三月事件、十月事件などクーデターやテロの事件が頻発する、その背景

柳条湖事件から満州事変へ、満州国の建国

第一次・上海事変

満州国の執政に旧清朝皇帝の溥儀が就く、日満議定書

関東軍の侵略に対し、黒竜江省の馬占山が奮闘する

馬占山は1度日本に降伏するが、再び抗日戦を行う

リットン調査団

日本軍が熱河省を制圧し、満州国に組み入れる

満鉄(南満州鉄道株式会社)と満鉄調査部

岸信介と満州産業開発5ヵ年計画

満映(満州映画協会)

満州国・協和会

日本の植民地における阿片ビジネス① 阿片と関東軍・日本陸軍の繋がり

日本の植民地における阿片ビジネス② 満州国政府の総務庁、岸信介、東条英機

五・一五事件(犬養毅・首相が殺される)

平頂山事件(日本軍の虐殺)

日本の国際連盟からの脱退(1933年3月)

天皇機関説の排撃(1935年) 山本七平の論

満州での抗日ゲリラ戦争と、日本の満州開拓移民

馬占山は蔣介石に干される

蔣介石と青幇・紅幇のつながり、杜月笙、黄金栄、陳其美、14K

日本の華北分離工作、傀儡の冀東防共自治委員会を設立

中国における共産党の成長と、国民党と共産党の内戦

西安事件(張学良が蒋介石を監禁し説得)

陸軍内の「皇道派」と「統制派」の抗争、永田事件、二・二六事件

二・二六事件における渡辺錠太郎・教育総監の殺害

海軍は南方進出を国策にさせる

海軍は華中・華南で戦争を始めようとする、北海事件など

盧溝橋事件が起きると、陸軍中央と近衛内閣は派兵を決め北支事変と名付ける

北支事変(日本の華北派兵)を受けて、第2次の国共合作が成立する(通州事件も)

海軍は盧溝橋事件が好機と見て、華中・華南で戦争を始めようとする

和平の動きを潰すため、海軍は大山事件を起こす。第二次・上海事変となる

海軍は南京(首都)などを空爆する、近衛内閣の暴支膺懲の声明

近衛内閣は日中の全面戦争を「支那事変」と名付ける、裕仁の勅語が出る

南京空爆の本格化、ブリュッセル会議、大本営の設置

第二次・上海事変

盧溝橋事件後の馬占山の戦い(綏遠省について)

花園口事件(黄河の大堤防の爆破事件)

中国大陸での日本軍の毒ガス使用が始まる、陸軍習志野学校の創設

中国大陸での日本軍の毒ガス使用が本格化する

満州国の終焉

川島芳子の生涯① その最後と周りの者の評価

川島芳子の生涯② 実父・善耆(肅親王)と養父・川島浪速

川島芳子の生涯③ 来日から断髪まで

川島芳子の生涯④ 動乱の中国

川島芳子の生涯⑤ 結婚と離婚、田中隆吉の愛人になる

川島芳子の生涯⑥ 関東軍に協力して、第一次・上海事変という謀略に参加する

川島芳子の生涯⑦ 安国軍司令となって熱河作戦に参加する

川島芳子の生涯⑧ 迷走する芳子

川島芳子の生涯⑨ 日本軍に暗殺されそうになる

川島芳子の生涯⑩ 日本が敗戦すると中国政府に逮捕される、処刑と生存説


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