(『チョムスキー、世界を語る』から抜粋)
質問者
最近のアメリカによるソマリアやコソボでの軍事行動は、人権擁護という言葉で語られていますが。
チョムスキー
アメリカはかつて、ソマリアの独裁者を支援していました。
この独裁者が倒された時に、内戦が起こって食糧不足となりました。
しかしアメリカは、全くソマリア支援をしませんでした。
人道支援の大部分は、赤十字を通じて行われたのです。
1992年の暮れにソマリアの状況が改善されると、アメリカは「軍事介入をすればアメリカ軍のPR活動になる」と考えました。
「アメリカ軍がソマリアに入って、子供達にサンドイッチを配れば、誰もが兵士を笑顔で迎えるだろう」というわけです。
1992年12月8日に、3万人のアメリカ海兵隊員は、赤外線ゴーグルを付けて夜間にソマリアに上陸しました。
海兵隊は、TVカメラの撮影用ライトの光を浴びて、まぶしさに目が眩みました。
この上陸は、TV局がカメラに収められるように、事前に知らされていたからです。
彼らはまぶしさで行動できず、「ライトを消してくれ」と頼まなければなりませんでした。
あまりに滑稽な光景だったので、報道関係者がつい吹き出したくらいです。
要するに、あれはPR活動だったのです。
その後、アメリカ軍はソマリアで困難に直面し、相手を殺し始めました。
CIAによれば、7000~10000人のソマリア人の犠牲者が出ました。
コソボに関しては、アメリカは事態を悪化させるのを百も承知の上で、紛争に介入したのです。
(セルビア共和国のコソボ自治州では、住民の9割を占めるアルバニア人が独立を求め、1998年から対立が激化した。
コソボ解放軍(KLA)のゲリラ活動に対して、セルビア共和国のミロシェビッチ大統領はアルバニア人の虐殺をした。
1999年3月24日にNATO軍は空爆を始め、78日後にようやく停止した。)
NATO軍が空爆を始めるまでは、大きな難民問題はありませんでした。
しかし空爆によって、OECDの視察団は引き揚げてしまい、たくさんの難民や死者が出ました。
そして、コソボでの虐殺も再燃してしまったのです。
爆弾を落とされた人々(セルビア人)は、ワシントンに仕返しに行くわけにはいきません。
当然ながら、彼らはコソボ人に仕返しをしたのです。
NATOの空爆は、民族浄化を煽り立てただけです。
NATOの司令官ウェズリー・クラークは、はっきりとこう公言しました。
「NATOには、民族浄化を終わらせる意図はなかった。
空爆によってそうした行為は止むどころか、逆にひどくなった。」
米英は空爆について、「NATOの抑止力を回復しなければならない」と主張しました。
NATOの抑止力とは、軍事力で相手を脅すことですよ。
彼らは、「世界中から恐れられるようになりたい。簡単に実力行使に出る国だと思われたい。」と望んでいるのです。
クリントン政権の戦略計画では、『アメリカは非理性的で執念深い国家である、とのイメージを与えること』を推奨しています。
スーダンやイラクへの空爆は、正にそれを思い知らせる手段でした。
コソボ空爆では、バルカン半島の支配権を誰が握るのか、という問題が横たわっています。
このままだと、バルカンは西ヨーロッパの多国籍企業の手に落ちるでしょう。
そうなったら、バルカンは植民地支配に縛られ続ける事になります。
この空爆については、米英の同盟国であるイスラエルでさえ、軍事専門家がこう言っています。
「これはもう、19世紀ヨーロッパの帝国主義の復活だ。
しかも、それが悪だという事を全く自覚していない。」
「もしセルビアが核兵器を持っていたら、こんな事は起こらなかっただろうに」と、どの国も思いましたよ。
核兵器を手に入れようとする国も出るでしょう。
もし米欧が本当に人権を気にしているなら、トルコのクルド人のために何かしらするでしょう。
トルコでは、クルド人の難民が200~300万人もおり、破壊された村落は3500、死者は1万人です。
トルコにおけるクルド人への残虐な仕打ちは、アメリカにも責任があります。
クリントン大統領は、トルコ軍に軍事援助をして、武器を輸出しています。
1990年代後半で最悪の民族浄化の軍事行動は、NATOの枠内で行われました。
クリントン、ジョン・メージャー、トニー・ブレア、ドイツ政府らは、トルコに最新鋭の兵器を送り、クルド人の虐殺に手を貸したのです。
しかし彼らは臆面もなく公衆の面前に立ち、「民族浄化を許してはならない」と公言しました。
それなのに知識人は、一言も抗議の声を挙げないのです。
1998年のアメリカ軍によるスーダン爆撃を考えてみましょう。
あれは戦争犯罪でした。
防衛手段を持たない国に爆撃を行い、これから伸びる可能性のあった製薬産業の半分を壊滅させたのです。
私たちは今、無制限に権力を行使する犯罪的な国家を目にしているのです。
世界の人々が声を挙げないかぎり、アメリカの行動は変わらないでしょう。
質問者
アメリカ経済の大きな部分を占める軍需産業は、戦争に乗り気ですね。
チョムスキー
ええ。
アメリカはベルリンの壁が壊された直後に、戦略計画の見直しを行いました。
アナリストに言わせると、「ロシアのこれ以上の軍拡はない」からです。
今後のアメリカの立場は、次のものになります。
「我々の外交の要は、核兵器である。
我々は、NPT(核拡散の防止条約)を破棄する。
我々は、先制攻撃の権利を放棄しない。
我々は、他国に恐れられる執念深い国でなければならない。
理性的に見られすぎるのは良くない。
核兵器を保有していない国に対しても、我々は核兵器の使用を躊躇しない。」
これは秘密でも何でもなく、アメリカ政府の公開資料に載っています。
(アメリカは実際に、息子ブッシュの時代にはこの方向で行動をした)
(2014.5.28.)
(『ノーム・チョムスキー』リトル・モア刊行から抜粋)
チョムスキー
アメリカは、 トルコに多くの軍事援助をしてきました。
トルコは、1990年代にテロが最もひどかった地域の1つです。
アメリカのトルコへの軍事援助は、1984年から急激に上昇し、90年代も増加し続けました。
クリントン政権の8年間では、1983年までの援助総額のなんと4倍でした。
クリントンの時期は、トルコ政府はクルド民族に対して国家テロを行っていたのです。
アメリカは、トルコ軍の武器の80%を供給しました。
トルコの社会学者ベクシチは、1991年に『中東の国家テロ』を著しました。
これには、トルコのクルド人へのテロも書いてあり、彼はすぐに投獄されました。(2002年の時点では)まだ獄中にいます。
1994年に、トルコの人権大臣は「政府の行っているテロは、国家テロである」と言いました。
彼によると、当時のトルコでは200万人が家を追われていました。
現在(2002年)までに、300万人の難民と5万人の死者が出ているそうです。
私の訪問したディヤルバクル市では、難民の多くが洞穴などで暮らしていました。
私の滞在中にも、1人のジャーナリストがラジオでクルド音楽をかけたため、投獄されました。
トルコの国家テロについて、アメリカは高く評価しています。
例えば1999年に国務省は、テロに関する年次報告で、「トルコでは、テロに対抗する積極的な取り組みがあった」として取り上げています。
トルコ政府は、アメリカに大いに感謝しており、アメリカがアフガニスタンに侵攻した時はいち早く援軍を派遣しました。
現在トルコ軍は、アメリカの資金でアフガニスタンのカブールを防衛しています。
つまり、90年代に最悪のテロを行った軍隊が、今度はアメリカが主催する「テロとの戦い」の一翼を担っているのです。
1999年になると、トルコに代わってコロンビアが、アメリカの軍事援助を最も受ける国になりました。
コロンビアは、労働組合員やジャーナリストの殺害件数で、世界記録を保持しています。
そして、残虐行為の80%が民兵によって行われています。
軍隊を民営化すれば、政府は民兵組織を後援しつつ、民兵の残虐的なテロ行為について「自分は無罪だ」と言えます。
クリントン大統領は、「コロンビアは民主主義のリーダーだ」と褒め称えました。
アメリカ軍も、民営化を進めています。
民営化すれば、軍事援助などが議会の監視下でなくなるからです。
(軍事の民営化については、『世界情勢の勉強 アメリカ』のNSAなどについて①~③を読めば理解できます。)
私は、コロンビア南部のカウカ県に数日滞在しました。
住民の大部分は、貧しいコーヒー農家です。
彼らは、有機栽培の高品質なコーヒーを作ることで、国際市場に足場を確保していました。
ところが、アメリカによる燻蒸作戦で、一掃されてしまいました。
(アメリカは麻薬栽培を撲滅するという名目で、農薬の散布などを支援し、コロンビアの農地を破壊した)
土地は汚染され、生物の多様性もダメージを受けました。
重要なことは、住民が居なくなった後には、多国籍企業に鉱物採掘や水力発電ダム建設の道が開かれている事です。
(アメリカは外国において、資源の豊富な土地から住民を立ち退かせるために、様々な工作をしてきた。
コロンビアは鉱物資源の豊富な国である。)
(2015.7.14.)