シオン団(プリウレ・ド・シオン団)の総長の補足

(『レンヌ=ル=シャトーの謎』マイケル・ベイジェント、リチャード・リー&ヘンリー・リンカーン著から抜粋)

「プリウレ・ド・シオン団」について書いた文書によると、シオン団の総長たちは、男性ならばジャン(ジョン)、女性ならばジャンヌ(ジョアン)と組織内で名乗っていた。

これは明らかに、ローマ教会(キリスト教カトリック派)の教皇がペトロと名乗るのに対抗するものだ。
(※ローマ教皇は、ペトロの後継者という建前がある)

シオン団の総長がジョン(ヨハネ)と名乗るのは、教皇のような権力者との主張だろうが、どのヨハネの後継者と考えているだろうか。

シオン団の26代目の総長となったジャン・コクトーは、「ヨハネス23世」としてシオン団の総長一覧に載っている。

(※それまでに女性の総長が3人いたので、コクトーはヨハネス23世となった)

ジャン・コクトーが総長だった1959年に、ローマ教皇ピウス12世が死去して、新しい教皇にアレグロ・ロンカリ枢機卿が選ばれた。

ロンカリは、ヨハネス23世を名乗り、周囲を仰天させた。
というのは、ヨハネスという名は15世紀を最後に忌避されていたからだ。

さらにヨハネス23世は、過去にすでに存在していた。

12世紀にアイルランドのマラキという僧が、預言書を編纂した。

そこには歴代のローマ教皇を説明する(予言する)銘があり、ヨハネス23世の銘は「羊飼いの航海者」である。

シオン団の総長の正式な肩書も「ノートニエ(航海者)」である。

ロンカリ(ヨハネス23世)は、フリーメーソンに対するローマ教会の態度を変えて、「カトリック教徒はフリーメーソンでもかまわない」と宣言した。

さらに彼は書状を出して、イエスの受難と流血が、イエスの復活よりも重要とした。

この書状で、カトリック信仰の根底が覆されたという批評家もいる。

イエスの流血が最重要ならば、イエスの死と復活は余分なものになりかねないからだ。

話をプリウレ・ド・シオン団に戻すが、シオン団の総長は極めて若い年齢で就任した者もいる。

エドアール・ド・バールは5歳で、ルネ・ダンジューは8歳で総長になっている。

ロバート・フラッド、シャルル・ノディエは21歳、クロード・ドビュッシーは23歳で総長になっている。

これを見ると、階級を順番に上がって出世していくシステムでないのが明らかだ。

総長職は象徴でしかないと考えないと、説明がつかない。

(2023年3月11日に作成)


次のページに進む

前のページに戻る

【キリスト教の歴史】 目次に戻る

【宗教・思想の勉強】 トップページに行く

【サイトのトップページ】に行く