タイトル新約聖書・福音書の信頼性は高くない①
恣意的削除の一例

(『レンヌ=ル=シャトーの謎』マイケル・ベイジェント、リチャード・リー&ヘンリー・リンカーン著から抜粋)

新約聖書にある4つの福音書は、極めて権威のある記録とされて、疑問の余地のないものとされている。

キリスト教徒たちは、この物語を信じるように教育され、「絶対に信用できる」と教わる。

だが4つの福音書は、お互いに矛盾があるし、全く異なる記述も多い。

イエスの素性と誕生については、マタイとルカの福音書に書いてあるが、2つの内容は矛盾している。

マタイ福音書では、イエスはダビデやソロモンに繋がる、王家の血筋の貴族である。

ルカ福音書では、ダビデの家系だが、高貴な家柄ではない。

イエスが生まれた時、マタイでは王たちが訪問しているが、ルカでは牧人たちが訪問している。

マタイでは、イエスの家族はベツレヘムに住む裕福な家族で、イエスは家の中で生まれている。

一方ルカでは、家族はナザレに住んでいるが、ベツレヘムに出かけて、飼い葉桶の中でイエスは生まれている。

明らかな違いがあり、どちらかが間違っているか、両方が間違っているかである。

このように福音書は、疑問の余地がたっぷりある。

実は福音書は、イエスの十字架刑の日付さえも一致していない。

ヨハネ福音書では過越祭の前日だが、マルコ、ルカ、マタイはその翌日になっている。

イエスの性格も、ルカ福音書では「穏やかな救い主」だが、マタイ福音書では「平和ではなく剣をもたらすために来た君主」である。

福音書は、神の言葉を保存したものではなく、人間の手で編集されたものである。

旧約聖書も新約聖書も、ごく一部の者が編纂したもので、多くの作品(著作)から任意に選び出したものにすぎない。

367年に、アレクサンドリアのアタナシオス司教は、新約聖書に入れる作品を編纂した。

これが393年のヒッポ公会議と、その4年後のカルタゲ公会議で批准され、聖書に収める作品が決まった。

今日の私たちが見る新約聖書は、この作品集である。

さらに言えば、聖書に収められた作品でも、大胆な削除や変更がされている。

1958年にコロンビア大学のモートン・スミス教授は、エルサレム近郊でマルコ福音書の失われた断片を発見した。

それは、キリスト教・初期の教父で尊敬されていた、アレクサンドリアのクレメンス司教の手紙にあった。

クレメンスはその手紙で、弟子のテオドロスにこう書き送っている。

「(キリスト教の)カルポクラテス派は、罪の底なしの深みにはまっている。

結局このような輩は、虐げられるだろう。

たとえ彼らが真実を述べても、彼らに同意してはならない。

ペトロのローマ滞在中、マルコは主の行いの話(福音書)を書き送った。

マルコは(イエスの)全てを書いたのではなく、秘密の行いはほのめかさず、信仰に最も効果的なものを選び出した。

ペトロが殉教者として亡くなると、マルコは自分の覚え書きとペトロの書いた覚え書きを持って、アレクサンドリアにやって来た。

マルコは、役立つと考えたものは何であれ、ペトロの覚え書きから自分のものに写した。

こうしてマルコは、福音書を編集した。

マルコは、言うべきでない事は書かず、主の秘儀には触れず、奥義を7つのヴェールで覆い隠した。

結局、マルコはあらかじめ計画していた。

マルコは死ぬ時、その文書をアレクサンドリアの教会に残したが、それは守られていて、偉大な秘密を授けられる人だけが読むことを許される。

悪魔の教えを受けたカルポクラテス派は、アレクサンドリア教会の長老から、マルコ福音書の秘密の部分の写しを手に入れてしまった。

そして肉欲主義で解釈し、汚してしまった。

カルポクラテス派に対しては、マルコ福音書の秘密部分は認めずに、否定すべきである。

これは、『真実は全ての人に与えられてはいない』からである。」

クレメンス司教は、弟子のテオドロスに上記のように説いてから、「否定しろ」と指示したマルコ福音書の秘密部分を説明している。

「秘密部分には、こう書いてある。

『それから彼らはベタニアに着いた。そこには兄弟を亡くした婦人がいた。

婦人はイエスの前にやって来て、平伏して言った。ダビデの息子、憐れんで下さい。

イエスは彼女を連れて墓のある園に行くと、直ちに墓から大きな叫び声が聞こえた。

イエスは墓の入口の石を転がした(※石をどかした)。
そして中に入り、若者の手をつかんで起こした。

若者はイエスを見て愛し、一緒にいたいと取りすがった。

一同は墓を出ると、若者の家に行ったが、それは若者の家が裕福だったからである。

6日後、イエスは若者に指示して、夜に若者は裸体に布を付けたかっこうでイエスの所に来た。

若者は夜通しイエスと一緒に居て、イエスは神の国の不思議を教えた。』」

上の内容は、現存するマルコ福音書にはなく、ヨハネ福音書のラザロの蘇りと似ている。

上の記述だと、墓に入っていた人は死んでなかった様に思えるし、蘇りとは違う印象である。

さらには、イエスと若者がホモの関係を結んだとも解釈できる。

このエピソードは、ユダヤ教の秘儀集団の入会儀式とも解釈できる。
こうした死と再生の儀式は、当時の中東で広く行われていた。

重要なことは、クレメンス司教がこの事を秘密にしておくよう指示し、現存するマルコ福音書にも無い事である。

つまり、都合の悪い部分が削除されたのである。

現代のほとんどの聖書学者は、本来のマルコ福音書はイエスの空の墓で終わっており、イエスの復活や弟子との再会は無かったと考えている。

復活以降の部分は、2世紀後半に追加されたと考えている。

(2023年4月26日に作成)


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