(『レンヌ=ル=シャトーの謎』マイケル・ベイジェント、リチャード・リー&ヘンリー・リンカーン著から抜粋)
新約聖書のマタイ福音書は、イエスはソロモンやダビデの直系の子孫で、王家の血を引くと述べている。
だからイエスが十字架にかけられた時の、十字架の銘「ユダヤの王、ナザレのイエス」は、そのままの意味とも考えられる。
イエスは、ユダヤ教徒の祭司王の資格をもつ人で、だからこそヘロデ王やローマ軍は脅威と見たのではないか。
ヘロデ王は、ローマ軍の傀儡の王で、民衆に憎まれており、権力を維持できたのはローマ軍の武力支配のおかげだった。
イエスが貧しい大工だったという証拠はなく、どの福音書にもそんな記述はない。
実のところイエスは、高い教育を受けており、アリマタヤのヨセフやニコデモといった裕福な人と頻繁に交際している。
「カナの婚礼」のエピソードは、イエスの地位が低くない事を示している。
イエスが参加したこの婚礼は、上流階級の行事のあらゆる特徴が認められ、数百人の客が参加する規模だった。
そしてこの婚礼では、イエスとその母マリアの指示を待つ召し使いが控えていた。
イエスが貴族階級ならば、彼と結婚したマグダラのマリアも同じ階級だったろう。
事実、マグダラはヘロデ王の宮廷の高官の妻と交際していた。
ユダヤ人のベニヤミン族は、他の部族と戦争して、多くがパレスチナから追放された。
その生存者の子孫がパウロで、彼はローマの信徒への手紙で「自分はベニヤミン族」と明言している。
イエスはユダ族だが、伝説によるとマグダラはベニヤミン族の出身という。
イエスがユダヤの王になれる血筋の男ならば、その証拠は福音書に書いてあるだろうか。
ローマの行政長官ピラトに尋問された時、イエスは何度も「ユダヤの王」と呼ばれている。
イエスの十字架にも、「ユダヤの王」と銘が付けられた。
マルコ福音書では、ピラトは集まったユダヤ教の祭司たちに、「ユダヤの王とお前たちが言っているあの者を、どうしてほしいのか」と尋ねている。
これは、イエスを王として見ていた証拠である。
マルコ福音書では、ピラトがイエスに対し、「お前がユダヤの王なのか?」と尋問する。
イエスは「それは、あなたが言っている事です」と答えるが、元のギリシア語の原本では「あなたの言っている事は正しい」と答えている。
イエスは、ユダヤ教徒の最高評議会であるサンヘドリンで有罪となってから、ピラトの所へ連行されたと、福音書に書いてある。
しかし、サンヘドリンで有罪を宣告されたのは過越祭の夜だが、ユダヤ法では過越祭の期間中はサンヘドリンを召集してはいけなかった。
またイエスの裁判は夜に開かれているが、ユダヤ法ではサンヘドリンの夜の召集を禁じている。
さらにサンヘドリンは、石打ち刑で死刑を宣告できたから、わざわざピラトの所に連行する必要もない。
福音書には、ローマ人から罪を除く工夫が、数多く見られる。
その一例が、群衆が選んだ囚人を解放するという、ピラト総督の行動だ。
マルコとマタイの福音書では、これは過越祭の習慣とするが、そんな習慣は無かった。
すでに研究によって、イエスかバラバを解放するという話は、全くの作り話であると明らかになっている。
群衆の圧力でピラトがイエスを死刑にしたというのも、作り話だろう。
史実のローマ総督ピラトは、無慈悲で有名だったからだ。
福音書は、作り話を挿入することで、ローマ人を免罪し、罪をユダヤ教徒に転化した。
そうすることで、広大な地域を支配していたローマ人に、イエスの教えを受け入れやすくしたのである。
十字架刑は、ローマ兵士によるローマ式の処刑で、この処刑はローマ帝国の敵に対してのみ行われる処刑法だった。
つまりイエスは、ユダヤ教に対する罪ではなく、ローマ帝国に対する罪で十字架にかけられた。
イエスがマグダラのマリアと結婚していたならば、当然に子供がいただろう。
福音書に現れるバラバという人物は、初期のマタイ福音書では「イエス・バラバ」と呼ばれていた。
この人が息子だったのではないか。
バラバは、意図的におとしめられた様で、通説ではマグダラは売春婦とされたが、バラバは盗人とされた。
実はバラバは、マルコとルカの福音書では、政治的な囚人である。
盗人ではなく、殺人と暴動の罪で投獄された人である。
ヨハネ福音書では、バラバは「レスタイ」と呼ばれ、これは盗賊と訳されているが、元々は軍事革命を目指す愛国的な集団である「熱心党」を指す言葉だった。
ルカ福音書によると、バラバはエルサレムで起きた暴動や動乱に絡んでいた。
数日前にエルサレムでは、イエスとその仲間が神殿の両替商人の机をひっくり返している。
バラバは、イエスの起こした騒ぎで投獄されたのかもしれない。
前述したが、イエスに行われた十字架刑は、ローマ帝国に対する犯罪だけに適用される刑罰だった。
だからイエスは、ローマ帝国の怒りを買ったのであり、「政治犯」だったと考えられる。
バラバが殺人や盗みをした罪人ならば、どうして群衆はイエスよりも彼の命を救おうとしたのか。
イエスよりもバラバの助命を選んだことは、福音書に出てくるおかしな記述の中でも目立っている。
もしバラバがイエスの息子で、王位継承者だったならば、王家の血筋の保存のために、群衆はイエスよりも若いバラバを選んだのかもしれない。
イエスは前6年頃に生まれたと言われており、当時のユダヤ教徒は16~17歳で結婚したから、イエスが十字架刑になった時にユダヤ法で成人とされる13歳以上の息子がいても不思議はない。
むしろ他にも子供がいた可能性が高い。
イエスと熱心党には関係があり、イエスは熱心党の一味として処刑されたのは間違いないだろう。
実際に、イエスと共に処刑された2人は、「レスタイ」と記されており、これは熱心党を指すローマ人の呼び方であった。
イエスは、攻撃的な面を持っていたし、「私は平和をもたらすためではなく、剣をもたらすために来た」とも述べている。
ルカ福音書ではイエスは、剣を持っていない者に買うように指示したり、過越の食事の後に皆の剣を確認している。
またヨハネ福音書では、イエスが逮捕された時、弟子のシモン・ペトロが剣を持っていた。
このように、福音書はイエスと軍事集団(熱心党)の関わりを隠しきれていない。
専門家によると、ユダ・イスカリオテ(※イエスを裏切った弟子)は「シカリ党のユダ」に由来し、シカリとは熱心党の別称である。
熱心党においてシカリは、暗殺組織のエリートだったらしい。
さらにシモンというイエスの弟子は、ルカ福音書では熱心党員とされており、「ゼロテ(熱心)党のシモン」と書かれている。
(2023年4月29日に作成)