タイトル『レンヌ=ル=シャトーの謎』の結論
もはやイエスの子孫に価値はない

(『レンヌ=ル=シャトーの謎』マイケル・ベイジェント、リチャード・リー&ヘンリー・リンカーン著から抜粋)

(※今記事は、『レンヌ=ル=シャトーの謎』のまとめ的な内容です)

私たちは様々な資料を調査した結果、以下の仮説にたどり着いた。

イエスは、ユダヤ王家の血筋の者で、ユダヤ教徒の王になろうとしていた。

イエスには妻と子供がいて、妻と子供はパレスチナから逃げて南フランスに移住した。

その子孫が5世紀に、フランク人の王族と婚姻関係を結び、メロヴィング朝が生まれた。

496年にローマ教会(キリスト教カトリック派)は、メロヴィング家(メロヴィング朝)と協定を結んだ。

しかし後にローマ教会は、メロヴィング朝のダゴベルト2世を暗殺して裏切った。

ローマ教会は、イエスの血筋やメロヴィング家を抹殺しようとしたが、この血筋は(メロヴィング朝の次の)カロリング朝でも生き続けた。

さらにメロヴィング家の血筋から、セプティマニアのユダヤ王国のギョーム・ド・ジェローン王が出て、さらにエルサレムを十字軍で征服したゴドフロワ・ド・ブイヨンが出た。

ゴドフロワがイエスの子孫だとすると、1099年のエルサレム征服は、イエスの子孫がユダヤ王の権利を奪回したといえる。

私たちの仮説では、(伝説として語られてきた)「聖杯」は2つの意味を持っている。

1つは、イエスの血筋を意味する「サング・ラール(Sang Raal)」で、ユダヤ王家の血筋である。

もう1つは、イエスの妻マグダラのマリアの意味で、イエスの血筋の源となる子宮の持ち主マグダラを象徴する。

エルサレムにあるソロモン神殿の地下には、イエスがユダヤ王家の者だったという証拠が隠されている、という伝承があった。

それを見つけようとしたのが、テンプル騎士団だった。

テンプル騎士団は、ソロモン神殿の跡地で何かを見つけて、それをヨーロッパに持ち帰った。

その後、第4代・テンプル騎士団長のベルトラン・ド・ブランシュフォールは、フランスのレンヌ・ル・シャトーの辺りに、何かを隠すため、外国人であるドイツ人の鉱夫たちを雇って派遣した。

ここに隠されたものは、キリスト教カタリ派の者たちが入手し、モンセギュール(※カタリ派のモンセギュールの山岳要塞)の財宝の一部になったと考えられる。

十字軍がパレスチナを征服し、エルサレムに王国が建国されると、メロヴィング家の子孫は自分たちの先祖(イエス)との血の繋がりを広めようとした。

そして聖杯物語が作られて、広められた。

この目的は、エルサレムの王がローマ教会(ローマ教皇)よりも偉いことや、キリスト教界の君主になれる血筋だと、宣伝することだった。

しかしエルサレム王国は、1291年にエルサレムをイスラム軍に奪われて、消滅した。

ベランジェ・ソニエールが、レンヌ・ル・シャトーの教会で見つけた羊皮紙は、そのうち2つは公開されたが、残る2つは秘密のままである。

私たちと会見した、プリウレ・ド・シオン団の代表であるピエール・プランタールによると、残る2つはロンドンのロイド銀行の保管庫に預けてある。

レンヌ・ル・シャトーの謎や、プリウレ・ド・シオン団の活動は、メロヴィング家を君主とする国をフランスにつくろうとする画策が背後にある。

この策謀を正当化するために、メロヴィング家がイエスの血を引くと主張している。

現実には、イエスの子孫がいた場合、次々と枝分かれしていき、数え切れないほどの数に上っていると思われる。

(※血筋とは、本質的にそういうものである)

多くの家系が、イエスにさかのぼると主張できるだろう。

重要なのは、もはや「イエスの子孫」という事に、価値は無いことだ。

この考え方は、今日ではほとんどの人に支持されるはずだ。

イエスの子孫が出てきて証拠を見せても、ほとんどの人は「それで?」と尋ねるだけである。

だから、プリウレ・ド・シオン団が練りに練った計画を実行しても、影響はないだろう。

プリウレ・ド・シオン団は、フリーメーソンといった秘密組織と共謀して、イエスの子孫を象徴的な祭司王にして、その王の下でヨーロッパに帝国をつくろうとした。

イエスの子孫という話を使って、政治権力を握ろうとしてきた。

(2023年5月1日に作成)


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