今回は、学校教育についての提案をします。
学校の教育については、いつも様々な場で議論がされています。
沢山の方が関心を持っている証だと思うし、すばらしい事だと思っています。
様々な教育改善のアイディアが出されていますが、その多くは「読み書き計算の能力アップや、受験戦争に勝つためのもの」で、「より良い心や高潔な人間性を実現させる」という方向ではないようです。
私は、教育で一番大切なのは『素直さ・純粋さ・熱心さ・探究心・高潔さ・愛・公平さ』等を教える事だと思っています。
この様な精神的・霊的な事柄を、教育に取り入れる話をすると、「愛国心とか天皇制の強化が重要だ」と主張する人がいます。
しかし私は、上記した美しい精神・概念と、愛国心や天皇制の強化が結びつくとは、全く思いません。
これからの時代に愛や公平さを表現しようとしたら、国家よりも地球全体を考えるのが自然です。
それに、天皇制によって人間に序列をつけるよりも、人類全体の平等を考えるのが、より進化した社会にふさわしいです。
私はずっと前から、「もっと教育に、多くの大人が関わる方がいい。自分の子供や孫の事だけを考えればいいとか、教育は先生や塾の講師に任せればいいといった、現在に主流の考え方は、あまりに幼稚すぎる」と感じてきました。
現在の幼稚な教育観の根底には、「学歴絶対主義」があるのだと思います。
学歴を信奉しすぎているために、「自分の子供以外は、どの子供も全員ライバルである」とか、「学校での成績さえ良ければ、それで教育は完了だ」という、冷静に見ると愚かな発想になるのだと思います。
では、どう教育を改善すればいいのでしょうか。
『もっと学校を開放的にして、時間の空いている大人が気軽に学校に来て、授業や行事に参加して先生をサポートできるようにすること』を、ここで提案いたします。
考えてみると、最近は定年退職をされて昼の時間が空いている方が、かなりいます。
また主婦の方は、自分が使える自動車を所有している人が多く、気軽に手早く外出できます。
自分の空いている1~2時間を、学校に行って教育のために使える人は、相当な数がいるのではないでしょうか。
本質的に子供が好きな人は多いですし、特に定年退職をされている方の場合、学校教育に参加する事が生き甲斐になる可能性も大いにあると思います。
このような人達が学校に足を運び、先生をサポートすれば、教育の質が上がり、生徒の方でも様々な大人と接する事で良い刺激になると思うのです。
また、教育に熱心でない先生を見抜く事も、容易になると思います。
さらには、いじめについても、大人の目が多くなれば数が減少するでしょう。
だいぶ前の事ですが、学校に侵入した男によって生徒が殺される事件があり、その後しばらくは学校に外部の者が入れない方が安全だとされて、校門も基本的に閉じる状態がありました。
私はこの事件を知ったとき、「親や教師や生徒が不安がるのは分かるが、どんなに警戒をしても入る気があったら入ってくるだろう。むしろ学校を開放的にして、大勢の大人が校内にいる方が不審者を排除できるのではないか」と思いました。
過度の警戒をして、学校を牢獄のような閉鎖した状態にする事は、生徒の精神に悪影響が出ると思います。
さて、具体的な学校の開放の仕方ですが、それは各学校で考えればいいと思います。
文部省や教育委員会が方針を一括して決定し、それにどの学校も従う現在のシステムは、もう古いと思います。
学校の開放具合を文部省などが指示するのは、全くナンセンスだと考えます。
それぞれの地域ごとに事情や特色があるでしょうし、各学校ごとに先生と親と地域の人々が話し合って、教育スタイルを決めればいいと思います。
自分たちで教育スタイルを決めるのは大変でしょう。
でも、そういう姿勢を見せれば、その情熱はしっかりと子供たちに伝わると思います。
そして、そういった情熱が伝わる事こそが、一番大切な事だと考えます。
現実的には、先生の教えるスタイルや、教える科目によっても、サポートがあった方がいい場合と、そうでない場合があると思います。
サポートをする側にも、どの事柄なら教えられるかの個人差が、相当あるでしょう。
基本的に、授業は誰でも見学できるようにしていいと思います。
教室の扉は、常に開けておいていいと思います。(寒い季節は無理ですけど)
そうなれば、校長や他の教師が気軽に教室に入ってサポートできますし、見学に来た人の中から「この授業ならサポートできそうだ」と思えるものも出てくるはずです。
子供達が学んでいる姿を見るのは、それだけで楽しいものだし、大人にとって良い刺激になるものです。
誰もが簡単に学校に行けて、授業を見られるようになれば、生徒にも教師にも大人達にも、良い刺激になるでしょう。