(『ダブルクロス アメリカを葬った男』チャック・ジアンカーナ著から抜粋)
1957年3月31日に、レオン・マーカスという銀行家が殺された。
マーカスは謀り事の得意なワルで、シカゴで怪し気な取引に関わっていた。
この年の初めに、マーカスは自分の経営するシカゴ・サウスムア銀行の資金を横領したとして、義理の息子や兄弟と共に起訴された。
起訴されて以降、彼はマフィアのボスに圧力をかければ無罪放免になると期待して、ムーニーを脅迫しようとした。
「自分はサム・ジアンカーナを一生刑務所送りにできる情報を握っている」と、仲間のギャングに自慢した。
ムーニーがどういう態度に出るかを見誤っていた。
ムーニーが殺しの命令を出したのは、部下のウィリー・ポテトズにだった。
ウィリーは、自分の手下で警官からギャングに転向したサル・モレッティに、この仕事をやらせることにした。
サル・モレッティは3月31日にマーカスを殺したが、「財布の中からある重大な文書を抜き取ってこい」と命じられていた。
それは(チャックの経営する)サンダーボルト・モーテルに関して、ムーニーが支払った現金10万ドルの領収書だ。
モレッティは、この領収書を残してきてしまった。
レオン・マーカスの処刑は、テレビで大きく報じられたが、領収書のおかげでムーニーは事情聴取のため拘引された。
やがて拘引は解かれたが、郊外にあるムーニーの賭場ワゴン・ホイールへの告発がなされ、公判日が設定された。
マーカス殺害から1週間も経たないうちに、サル・モレッティの痛めつけられてむくんだ死体が、シボレーのトランクに詰め込まれた状態で見つかった。
この出来事は、シカゴ・シンジケートの男たちを震え上がらせた。
モレッティを殺ったのがウィリー・ポテトズであることは、シンジケートの人間なら誰でも想像がついた。
ウィリーは落とし前をつける必要があった。
ウィリーは拷問のテクニックで知られ、モレッティの殺され方はそこらじゅうにウィリーの名が書き込まれているも同然だった。
モレッティは膝を縛られ、ピストルで殴られていた。
ウィリーは相手をひざまずかせ、命乞いさせるのが趣味だった。
モレッティの頭蓋骨は棍棒で叩きつぶされ、それからロープで首を絞められていた。
ロープを使うのもウィリーの好みだ。
そしてモレッティの死体は、トランクに投げ込まれてから、つぶれた頭に4発の弾を撃ち込まれていた。
ウィリーも、必ず倒した相手が息絶えたことを十分に確認するのである。
殺しをする時のウィリーが異常に興奮するのも、仲間うちでは知られていた。
他の殺し屋たちも、異常な興奮は同じだった。
シカゴ・シンジケートのボスとなったムーニーは、もう殺人を自分でしたりはしない。
言葉で命じる必要さえなく、信用できる子分に目配せするだけで意思は伝わった。
さらにムーニーは、自分の安全を守るために、部下に対して部下自身の手下を使って仕事をさせる事もあった。
誰が手を下すかをムーニーが知らない事さえ、しばしばあった。
マーカス=モレッティ事件が新聞の紙面を賑わすと、チャック一家への世間の見方が厳しくなった。
チャック一家は、近所の住人たちから拒絶され始めた。
賭場ワゴン・ホイールの件は、法廷に持ち込まれたものの証拠不十分で棄却された。
「ちょっとばかり忠誠の証を要求したのさ」と、ムーニーはチャックに自慢した。
(2018年10月30日に作成)