ムーニー、ケネディ家、シナトラ一家の繋がり

(『ダブルクロス アメリカを葬った男』チャック・ジアンカーナ著から抜粋)

1959年の初めになると、ジャック・ケネディ(JFK)は政治家としてかなり評判を上げていた。

だがムーニーは、「見かけに騙されるんじゃないぞ、ペテン師はしょせんペテン師だ。ケネディ家の奴らは貴族気取りでいやがるが、俺たちと一つ穴のむじなだ。」としばしば評していた。

ジョー・ケネディ(JFKの父)はかつて暗黒街の人間であり、彼が連絡してきた時にムーニーはいっこうに驚かなかった。

ムーニーはジョーの命を助けてやり、貸しを作ったが、周囲からは「ケネディ家を相手にするならよくよく用心すべきだ」と忠告されていた。

そこでムーニーは、万全を期す意味でフランク・シナトラを起用することにした。

ムーニーとシナトラの関係は30年来のもので、各地でシナトラ一家と呼ばれる連中とパーティを繰り広げてきた。

このグループに群がってくる女たちについて、ムーニーは「多くは一夜の快楽と新しい毛皮のコートが目当ての売春婦だった」と言う。

シナトラ一家にオープニング・ショーなどの仕事を世話することもあったが、ムーニーは内心では彼らのことをバカにしていた。

「奴らはしょせん、負け犬かわがまま女か間抜け野郎だ。

結構な稼ぎがあるくせに、いつもその日暮らしときてる。

宝石だローンだ賭け事だといって、年中借金を抱えてぴいぴいしてるのさ。

だから、どいつもこいつも物欲しそうにしてるってわけだ。」

ただしムーニーは、シナトラの忠誠心を評価していた。

シナトラはいつもムーニーを立てて、女を手配して侍らせていた。

ムーニーはそういったお手軽な女たちとの情事を楽しんでいたが、本気でのめり込むことはなく、女を単なる消耗品と見ていた。

「履き古したら捨てるまでのことさ。靴と同じだ。」とせせら笑っていた。

それとは対照的に、ケネディ家の連中は女にのめり込む傾向があった。

ムーニーは、タホー湖のカル=ネヴァ山荘での乱痴気騒ぎに参加した経験から、それに気付いていた。

ジョー・ケネディは昔から、カル=ネヴァで賭け事や女遊びに耽っていた。

1950年代になると、今度はジャックが通うようになった。

ムーニーは何度かカル=ネヴァでのパーティに出席した事があったが、男たちはベッドを除くあらゆる場所で商売女とのセックスを楽しみ、一度に複数の女を相手にすることもあった。

ムーニーは、さもおかしそうに言った。

「ケネディ家の連中は、こいつがまだ徹底した変態趣味ときてる。」

1959年3月半ばになっても、マクレラン委員会の召喚状はいまだムーニーに送達されなかった。

ムーニーは、チャックの経営するサンダーボルト・モーテルに立ち寄ると、話し始めた。

「ジャック・ケネディは、父親譲りで女に目がねえ。
そこで罠を仕掛ける段取りをつけた。

マレー・ハンフリーズがワシントンの外に最高級スウィートルームを設けることになってる。

ハンフリーズとシナトラが女を手配して、あの先生にまたとないもてなしをするって寸法だ。」

フランク・シナトラは、ケネディ家の四女パットの夫であるピーター・ローフォードと親しいので、以前からケネディ家の飲み友達だった。

ムーニーは興奮の面持ちで話を続けた。

「肝心要は、ここからだ。

俺はカル=ネヴァ山荘も買収し、スウィートルームと一緒に盗聴装置を仕掛ける。

さぞや面白いテープが手に入るこったろうよ。」

「でも、そんな装置をどこから手に入れるんだい?」

「もうジミー・ホッファに頼んである。
ボブ・メイヒューとCIAの力を借りるのさ。

以前にもホッファに頼んで盗聴のプロを使ったことがある。

ボビー・ケネディ(ロバート・ケネディ)も女遊びが派手らしい。
奴もうまく料理してやるさ。」

チャックは改めて、ムーニーの人の弱点を見抜く眼力に舌を巻いた。

ケネディ家は金に不自由してないから買収はきかないが、女を使って窮地に追い込むことはできる。

(2018年11月6日に作成)


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