マクレラン委員会の結末、キューバ情勢

(『ダブルクロス アメリカを葬った男』チャック・ジアンカーナ著から抜粋)

ムーニーは大物ギャングであることを隠すため、旅先では偽名を使っていた。

マイアミやニューヨークではゴールドという偽名をよく使ったが、こうした街ではユダヤ人というだけで扱いが良くなるからだという。
(ユダヤ人=ユダヤ教徒は、ゴールド姓が多い)

ムーニーは、ラスベガスに出向く時も偽名を使っていたが、1959年3月25日にデザート・インに居るのをFBIに嗅ぎ付けられ、マクレラン委員会の召喚状を渡された。

6月に出頭して証言せよ、というのだ。

チャックにはどうにも解せなかった。
ケネディ家はムーニーに支援を求めておきながら、上院委員会で尋問しようというのだから。

ムーニーは、ジャック・ケネディ(JFK)が大統領に当選すれば、FBIに付きまとわれる事はなくなると信じていた。

「われらがルーキーにホワイトハウス入りしてもらって、さっさとFBIの奴らをクビにしてもらわんとな」と言っていた。

この頃、ムーニーの長女アネットの超豪華な結婚式があり、新聞を賑わせた。

ムーニーがレポーターのサンディ・スミス相手に饒舌に話したため、そのやり取りが全米に知れわたり、ジアンカーナ一族への風当たりはますますきつくなった。

1959年6月にムーニーは、マクレラン委員会に行き、ボビー・ケネディ(ロバート・ケネディ)の前で証言した。

ムーニーは後日、チャックに会うとわめいた。

「全く話にならん。
この俺がてめえの親父の命の恩人だってことくらい、ボビーも知ってるだろ。

それに俺たちは今、手を結ぶ段取りをつけてるんじゃなかったのか。」

この証言では、ムーニーは黙秘権を34回行使し、始終くすくす笑っていた。

「あそこに座ってるうちに、可笑しくてたまらなくなっちまってな。

ボビーの兄貴とカル=ネヴァ山荘で(乱交して)遊んだ晩のことを思い出したんだ。
おかしいのなんのって。

全く呆れたもんだ、奴らの偽善者ぶりには。」

結局、マクレラン委員会の調査は成果なく終わった。

証言がもとで刑務所送りになったシンジケートのボスは1人もなく、最も打撃をこうむったのは衝撃的な証言を強いられたニューヨークの下っ端ギャングのジョー・ヴァラキと、大恥をかかされたフーバーFBI長官だった。

フーバーはこれがきっかけで、シンジケートに対し個人的な戦いを挑むことになる。

マクレラン委員会やFBIがマフィアを有罪にしてやろうと動いている時期に、ムーニーがCIAと共にメキシコで仕事をしていたのは、なんとも皮肉な話だ。

ムーニーは、チャックとプールサイドで寛ぎながら首を振った。

「アメリカ政府は、右手が何をやってるか左手はご存知ないんだからな。

CIAは、フーバーに秘密工作を知られたら暴露されるんじゃないかと、ビクついている。

CIAが秘密を話さないから、俺がFBIにコケにされるんだ。」

「割に合わない話じゃないか」とチャックは言った。

「いや、そうでもない。
CIAに協力して、こっちはたんまり稼がせてもらった。たんまりとな。」

「でも、キューバじゃ(1959年)1月にカストロ政権が誕生して、どうなるか分からないだろ。」

「今のところ五分五分だが、カストロを支援してやれば何とかしのげるかもしれん。

(キューバの)カジノを再開させるために、カストロにはすでに大金を渡している。

カストロの奴は、うちの身内のフランク・フィオリーニを闇の大臣として重宝がってるんだ。」

「サントス・トラフィカンテは? 向こうでブタ箱に入ってるって聞いたけど。」

「難しいな。(キューバやアメリカで)ヤクの密売もしてたからな。

しかしまあ、あいつは何とか出してやるつもりだ。
ジャック・ルビーには、もう手配するように言ってある。」

ムーニーは言わなかったが、彼名義の投下資本も危なくなってきたのではないかと、チャックは思った。

それから1ヵ月も経たないうちに、ムーニーの娘ボニーが、ムーニーの政界の操り人形とも言うべき下院議員ローランド・リボナティの秘書トニー・ティスキと結婚した。

1959年8月になると、サントス・トラフィカンテは釈放され、キューバ出国の許可もおりた。

ムーニーによれば、これはジャック・ルビーの手柄であり、報酬としてハバナのカジノの上がりの分け前をいくらか分けてやる事にしたという。

「トラフィカンテは痛い目にあったが、かなりの金を(キューバから)持ち出すことができた。その大半は俺のものだがな。」

(※この話をきくと、当時のトラフィカンテはサム・ジアンカーナの子分格だったらしい)

(2018年11月7日に作成)


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