ムーニーとケネディ家の密約、ハニートラップ、1960年の大統領選

(『ダブルクロス アメリカを葬った男』チャック・ジアンカーナ著から抜粋)

1959年の秋になると、ムーニーはジョー・ケネディと3度にわたって会い、最終合意を取り交わした。

ムーニーによれば、デイリー・シカゴ市長とジャック・ケネディ(JFK)も同席していた。

この件について、チャックはクリスマス直前にムーニーから詳しく聞けた。

その日ムーニーはかつてなく上機嫌で、いきなり「俺は全てを手に入れたぞ」と言う。

「全てを?」チャックの胸は高鳴った。

「簡単な話さ。俺がジャック(JFK)を大統領に当選させる。

その見返りとして、奴にFBIの捜査を止めさせる。
もちろんこっちも、あまり目立つ真似はしないと約束したがな。」

「ボビー(ロバート・ケネディ)の方はどうなんだい?」

「そっちも手を打った。マクレラン委員会から手を引かせるよう話をつけた。
今後は奴も選挙戦の手伝いをする。

ジャックが当選したら、俺は安泰だ。
俺の事業に関してはサツもFBIも全面的に手を引くように、正式命令が出る。」

「本当かい? ジョー・ケネディは信用できないだろ。」

「最初にジョーと話をつけて、次にジャックと話をした。」
そう言ってムーニーは顔をほころばせると、一人で悦に入って笑い出した。

「何がおかしいんだい?」

「俺がCIAの仕事を手伝ってるって言った時の、ジャックの顔は見物だった。
写真にでも撮っとくんだったな。」

「それはそうと、ジャックの言葉を信じて間違いないのかい?」

「奴が健忘症にかかった時のために、ちゃんと手は打ってある。

ジャックについては、キャリアがぶっ飛ぶようなネタを握っている。
写真、録音テープ、映写フィルムでな。

アメリカ国民も、大統領が女3人にねんごろなサービスをしてもらってる姿を見りゃあ…。
しかもそのうちの1人がクロンボとなりゃ、さぞや愉快だろうぜ。

ケネディにあてがう女も、フランク・シナトラが手配済みだ。
アンジー・ディキンスンはジャックの奴に首ったけらしい。
あの女がワシントンとの間を往復することになってる。

他にも女は用意してあり、ジャックのカミさんにそっくりなのも居るってことだ。

さらに別口で、マリリン・モンローとも深い仲になってもらう。
もっともジャックは、すでにあの女に手を付けてるらしい。

あきれた話だが、ボビーの奴までモンローとやらせろって言ってる。
まったく、あの兄弟はケダモノ同然だな。」

「その女連中は、からくりを知ってるのかい?」

「まさか。
連中は次期大統領に紹介してくれてるとでも思ってるんだろうよ。

女ってのは疑う事を知らないからな。」

1960年1月に、ケネディ家のスキャンダルの種を十分に集めたムーニーは、フランク・シナトラに「ジャック・ケネディの選挙応援にあらゆる手を尽くせ」と命じた。

ムーニーが指示するまでもなく、シナトラは選挙キャンペーンに突入していった。

ケネディがラスベガス入りした時は、ベッドルームから会議室にいたるまで全て無料だったが、そこにはムーニーの力が働いていた。

ムーニーは、「そろそろエサの女をジャックに紹介してはどうか」とシナトラに勧めた。

そこで2月7日にラスベガスのサンズにおいて、シナトラは昔のガールフレンドのジュディ・キャンベルをジャックに紹介した。

ムーニーによれば、ジャックは妻のジャッキーに似たこの女に一目惚れしてしまったと、シナトラから報告があったという。

3月に入り、ジャックが選挙キャンペーンの寸暇をぬってジュディ・キャンベルと逢瀬を重ねていることを知ると、ムーニーは陶然となった。

ムーニーは昔から、よく知っておきたい男がいる場合、その男の女房か恋人と愛人関係になることにしていた。

ムーニーは行動を開始すると、まずその男とビジネス関係を作る。そのために偽商売をでっち上げる事もあった。

そして相手を訪ねる時には、いつも紳士を装い、相手の女房へのプレゼント(指輪やブレスレット)を持っていった。

それを亭主の前で手渡すことで、皮肉な話ながら、男に自分のキャリアが評価されていると思わせるのだ。

「自尊心なんてそんなものさ」とムーニーはせせら笑っていた。

ムーニーは相手の女に電話をかけ、この上なく愛想のよい声で「あんたと俺の大事な男がどうしているかと思ってね」と言う。

やがて毛皮のコートを手土産に相手の自宅を訪ね、時間をかけて口説いていく。

そして女をベッドに誘い、亭主の秘密や弱点を洗いざらい聞き出すのだ。

ムーニーは女をものにする事で、その亭主の優位に立つようにしていた。

相手の男が自分の女房が寝取られていることに気付かなくても、それは問題ではなかった。

このやり口を知っているため、ムーニーがシナトラに「ジュディ・キャンベルというケネディの新しい女を紹介しろ」と迫ったと聞かされても、チャックは驚かなかった。

1960年3月下旬に紹介されると、ムーニーは定石通りにプレゼント攻勢をかけ、まもなくジュディを連れ歩くようになった。

ムーニーによれば、この事をジャックが知っても何とも思ってなかったという。

「全く大した自信だぜ。
ジュディと俺はただの友達だと思い込んでるんだ。

ジュディに我々の会談の仲介をさせてもいい、とまでぬかしやがる。
どうしようもねえ間抜けだ。」

ムーニーは、ケネディ親子と何度か顔を合わせて、選挙対策を話し合った。

ムーニーは言った。

「ジャックにとって心配な州の最たるものは、ウェスト・バージニアだ。

お堅い聖書地帯だし、炭鉱労働者組合もある。
東部の組合票の取りまとめは、どこも厄介だからな。

俺は(連絡役になっている)カル=ネヴァ山荘の支配人スキニー・ダマートに言ったんだ。

『1つ条件を呑んでくれれば、ウェスト・バージニアは何とかする。ジャックが大統領になったら(シンジケートのボスの1人の)ジョー・アドニスに帰国許可を出す、という条件だ』とな。

東部の連中は、アドニスを戻したがっている。

ケネディ親子は、二つ返事で引き受けやがった。
そこで取引が成立した。」

ムーニーは一息つくと後を続けた。

「奴らには言い聞かせておいた。
ティームスターズ(トラック運転手の労働組合で、マフィアが支配していた)は大っぴらにジャックの応援は出来ないとな。

ジミー・ホッファらに対するマクレラン委員会の仕打ちを考えれば、そいつはヤバイ。

しかし舞台裏で動くのはいっこうに構わん。
それにもう、ジャックのキャンペーン経費としてホッファに組合の金を200万ドルばかり都合させてある。

ボビーにティームスターズに手出しさせないとの合意の下にな。」

ムーニーによると、票集めは華やかな表舞台とは無縁のところで行われるという。

彼は現金の詰まったスーツケースをもたせて、スキニー・ダマートをウェスト・バージニアに送り込んだ。

ジャック・ケネディは(民主党の)予備選で勝利を続け、ウェスト・バージニアでもヒューバート・ハンフリーに大差で勝った。

1960年7月の(民主党の)全国大会が終わると、ムーニーはジョー・ケネディと副大統領候補の選定で協議し、リンドン・ジョンソンにすることで合意した。

これは、ジョンソンなら南部票を取れると考えてのことだ。

ムーニーは言った。

「イリノイ州とテキサス州を握れば、アメリカ全土を握れる。

それにジャック・ケネディは、ジョンソンに借りがある。

ジョンソンはジョー・ケネディに対する昔の恩義から、ジャックを上院外交委員会に起用した。
それがきっかけでジャックも芽が出るようになったという経緯がある。

だからそういう事で話はついた。副大統領はジョンソンで決まりだ。」

この人選にショックを受けたケネディ支持者たちは、撤回を求め非難ごうごうの騒ぎとなった。

1960年10月末にチャックがムーニーに聞いた話では、シンジケートは賭け金を分散投資しているという。

「俺たちは(共和党候補の)ニクソンにも献金している。二股をかけてる。

カルロス・マルセロと俺で合計100万ドル、ニクソンに渡してある。

もっとも、ジャックに投資した金に比べればはした金さ。

もしジョンソンが南部票を取るのに失敗すると、勝利はニクソンに転がり込む。
そうなっても成功は成功だ。ジャックほどの旨味はないがな。」

「だけど、どうしてニクソンを担がないんだ?あの男はシンジケートと親しいだろ。」
チャックは理解に苦しみ、疑問を口にした。

「ケネディが俺と組むことにしたからよ。

ニクソンには方々のボスが絡んでいる。皆が一枚噛んでるわけだ。

しかしジャックなら俺が独り占めできる。」

「でもケネディ家の奴ら、信用して大丈夫かな」

「(シンジケートを目の敵にしている)ボビーのことは何とかすると、約束を取りつけてある」

「だったらいいが…」

「ニクソンには、むろん世話になってる。

高速道路の仕事を回してくれたし、外国でも一緒に仕事した。
こっちも奴を助けてやった事がある。

そういや奴には、ジャック・ルビーが議会で証言させられそうになった時に助けてもらったな。1947年のことだ。」

「どんなふうに?」

ムーニーは笑い出した。
「ルビーは自分の雇っている人間だから信用していい、とニクソンは言ったらしい」

「やっぱりニクソンの方が安全なんだよ」

「おいチャック、ちゃんと二股かけてると言ってるだろ。

いいか、危ない橋を渡らなきゃ目的地には辿り着けないんだ。

俺は大統領を支配してこの国を仕切りたいのさ。」

1960年11月8日の大統領選挙は、1916年以来の伯仲したものだった。

ムーニーは自らの縄張りとするシカゴの9選挙区で、締め付けに全力を注いだ。

有権者をトラックに乗せて管区から管区へと運び、何度も投票させた。

さらに投票所の間仕切りのそばに配下を立たせて、投票に来た人々にケネディに投票するよう圧力をかけた。
圧力に立ち向かった者は、手足をへし折られる者も出た。

その結果、ムーニーのお膝元ではケネディが投票の80%を獲得し、最終的にイリノイ州はわずか9000票差でケネディが制した。

テキサス州でも2.8万票という僅差で勝ち、ケネディは全米単位で見るとわずか0.1%の票差で勝利となった。

共和党は、シカゴ選挙区の再集計を求めたが、デイリー・シカゴ市長は拒否し、ニクソンも暗黒街から圧力をうけ将来における協力と引き換えに敗北を認めた。

チャックは、これほど嬉し気なムーニーを見たことがなかった。

ケネディが大統領に当選すると、彼は別人になった。

今までは人を睨みつけ敵意を露わにするのもしばしばだったが、心の底から笑う陽気な男に変身したのだ。

チャックにすれば、兄が仮面を外すのを見るのは喜ばしいことだった。

この上機嫌さは、デイリー市長、フランク・シナトラ、カルロス・マルセロ、リンドン・ジョンソンも同じであった。

ムーニーはチャックに言った。

「こうした面々の果たした役割は等しく重要であり、皆が力を合わせたからこそ、ジャック・ケネディは当選した。」

(2018年11月9日に作成)


次のページを読む

前のページを読む

『ケネディ大統領の暗殺事件』 目次に戻る

『アメリカ史』 トップページに行く

『世界史の勉強』 トップページに行く

『サイトのトップページ』に行く