(『ダブルクロス アメリカを葬った男』チャック・ジアンカーナ著から抜粋)
1962年に入ると、ケネディ家に対するムーニーの影響力はすっかり消えうせた。
ムーニーの代理人であるマレー・ハンフリーズは、大統領執務室に歓迎されなくなり、フランク・シナトラも歓迎されなくなった。
そればかりか、ボビー・ケネディ司法長官はシナトラと暗黒街の繋がりを調べあげて、兄のジャックに報告した。
そしてシナトラは、ホワイトハウスに出入り禁止となった。
ムーニーは、フランク・シナトラをケネディ家との仲介役にしてきたので、激しく怒った。
いったんはシナトラを始末することも考えたが、思い直したのだという。
「まあ憎めん奴よ。
ケネディのアホどもの責任をとらせるのは酷だと思ってな。
だが俺があいつを嫌っていたら、間違いなくあの世へ送っている。」
ケネディ家の裏切りは、他にもあった。
ウェスト・バージニア州の予備選前に合意していたはずのジョー・アドニスの帰国を、「ボビーが承知しないから無理」とジョー・ケネディが連絡してきたのだ。
さらにムーニーの僚友であるカルロス・マルセロが、グアテマラに強制移送された。
マルセロはジャングルを抜けて密かにアメリカに帰国し、隠れ暮らしていた。
そしてムーニーとケネディ家の連絡係になっていたジュディ・キャンベルも、62年3月なるとホワイトハウスから出入り差し止めに遭い、ムーニーはFBIメモを受け取れなくなった。
1962年の6月になる頃には、ムーニーにもケネディ家が約束を守るつもりがない事が、嫌というほど分かった。
ケネディ家は、ムーニーを片付けることで、これまでの関係の証拠湮滅を狙っていた。
ケネディが大統領になってからの一連の出来事は、コミッション(マフィアの全米組合的な組織)におけるムーニーの立場を著しく傷つけた。
このアメリカ最大のボスが、ここまでコケにした人間を生かしておくとは、チャックには思えなかった。
ムーニーはチャックに言った。
「奴ら、本気で俺を嵌めたと思ってやがる。
盗聴して分かったが、ボビーのゲス野郎は俺のことを『ケチなイタ公』とぬかしてやがった。
俺が必死になってかき集めた票で、てめえの兄貴は当選できたんじゃねえか。
それを今になってケチなイタ公とは言ってくれるぜ。」
そして口元に薄笑いを浮かべながら、コブラの様に目を細めて「1つ、奴らにしっかりと思い知らせてやるとするか」と宣戦布告した。
(2018年11月12日に作成)