ボビー・ケネディ暗殺にもムーニーが関わったと知り、
チャックはジアンカーナ姓を捨てる

(『ダブルクロス アメリカを葬った男』チャック・ジアンカーナ著から抜粋)

1969年4月にチャックは、シカゴの殺し屋チャッキー・ニコレッティから、ボビー・ケネディ暗殺の話を聞いた。

ニコレッティと酒場で会うと、彼が口火を切った。

「これでまた1人、ケネディが消えたわけだな。

またもムーニーが殺った、お前の兄貴はたいした男だぜ。」

何も知らない事を気取られまいと、チャックは頷いた。
「ああ、そのことか」

ニコレッティは話を続けた。

「あのサーハンって野郎に罪をおっかぶせたわけだ。

オズワルドの場合は、奴が実際に撃ったわけじゃなかった。
その点サーハンは、奴が撃ったのは確かだ。

もっとも奴がしくじった時に備えて、ムーニーは代役を用意してた。
向こうで見つけたメキシコ人という話だった。」

マスコミはムーニーを引退した過去の人物と見ていたが、実際にはまだ大きな影響を及ぼしていた。

今回もCIAが絡んでいるのだろうか。

そういえば、ボビー殺しの本格的捜査がなされなかったのは、ジャック・ケネディ暗殺の時と符合する。

チャックが後日、トミー・ペインから聞いた話では、ボビー・ケネディ暗殺を取り仕切ったのはシカゴ・シンジケートで、もう1人のガンマンも万全を期す意味で配されていたという。

今度のことを聞いて、チャックはかつて味わった事のない孤独に襲われた。

すでに兄に対する愛情も信頼もきれいに捨てていたが、彼はこの時きっぱりとムーニーにもシンジケートにも別れを告げる決意をした。

1969年5月に、チャック・ジアンカーナ一家は、苗字の改名手続きをした。

(2018年11月15日に作成)


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