(『ダブルクロス アメリカを葬った男』チャック・ジアンカーナ著から抜粋)
1936年1月のある夜、ムーニーがにわかに政治の話を始めた。
当時フランクリン・ルーズベルト大統領は、史上最高の大統領だというもっぱらの評判で、チャックも子供心にそう思っていた。
ところがムーニーは「ルーズベルトは俺たち(マフィア、シンジケート)の味方だ」と言うのだ。
チャックには言っている意味が理解できなかった。
ムーニーが説明した。
「味方にならなければ殺されるからな。アントン・サーマックみたいに。
それからヒューイ・ロングみたいにな。
ロングはルイジアナ選出の上院議員だったが、ニューヨークにいる俺たちの仲間がニューオーリンズのボスに依頼して殺してもらった。
どこかの気違いがやったように見せかけてな。」
ムーニーは笑い声を上げたが、まじめな顔に戻り付け加えた。
「いずれ世間も真相を知るだろうが。」
ムーニーは、さらにこう説明した。
「射撃の名手で借金で首が回らなくなった男を見つけて、暗殺を請け負わせるのは昔からよくある。
アントン・サーマックはシカゴ市長でアル・カポネの敵だったが、正真正銘の裏切り者だ。
奴は長年、カポネのライバルのテディ・ニューベリーというギャングに肩入れして、カポネと戦っていた。
1932年にサーマックは部下を使って、カポネ軍団の第一線隊長であるフランク・ネティを殺そうとしたが、失敗した。
その後、ポール・リッカ(カポネの後継者になる男)が、逆にニューベリーを殺した。
サーマックは自分の身も危ういと思ってフロリダへ逃げたが、リッカはジョー・ザンガラという男を使ってサーマックを消した。
ザンガラはいいカモで、イタリア陸軍で磨いた射撃の腕は確かだが、博打に溺れてシカゴ・シンジケートから巨額の借金をしていた。
奴は、サーマックを殺すか自分が破滅するかの選択を迫られた。」
1933年2月15日に、アントン・サーマックはルーズベルト大統領をマイアミに迎え、オープンカーに同乗しているところをザンガラに撃たれた。
逮捕されたザンガラは、自分は資本主義に反対する者でルーズベルトを狙ったと主張したが、もちろんこれは嘘で、彼はれっきとした共和党員だった。
ザンガラとシカゴ・シンジケートの関係は、賄賂をもらった警察によって秘匿され、ザンガラは死刑となって電気椅子に送られた。
「何もかもうまく行ったのさ」、ムーニーはそう言ってニヤリと笑った。
ヒューイ・ロングについても、以下の話が真相だと、ムーニーは言う。
この上院議員はシンジケートと密接な関係を持ち、全米のマフィアと手を結んできた。
しかし1935年頃には、どうにも手に負えない人物になり、彼を暗殺する狂人が指名された。
ロングは欲をかき過ぎたのだ。彼は年間300万ドルを超える分け前を要求していた。
「あいつの要求通りにしたら、シンジケートの利益がなくなる。
仲間にも利益が行き渡るようにするのが大切なのに、ロングはそれを忘れた。」
(2018年10月1日に作成)