アル・カポネが長期刑になり、ポール・リッカがボスになる
組合の乗っ取り①

(『ダブルクロス アメリカを葬った男』チャック・ジアンカーナ著から抜粋)

ムーニー(サム・ジアンカーナ)は結婚してからも、相変わらず非合法事業をせっせと続けていた。

表向きは義兄の会社に就職していることになっていたが、実際はマレー・ハンフリーズの手下として始終、労働争議の説得役(脅迫役)に駆けつけていた。

ジャック・マクガーンの運転手も務めていたが、1936年2月13日にマクガーンは射殺された。

シカゴ・マフィアのボスの1人であるポール・リッカは、エスプレッソを啜りながらこう言ったものだ。

「マクガーンの奴にゃ尿瓶ひとつ残っちゃいなかった。
みんなに見捨てられて細々ヤクを売ってた。

ありがてえこったぜ。誰かが片付けてくれた。」

この頃になると、ムーニーはリッカにすっかり心酔していた。

リッカはたいてい「ベラ・ナポリ」に居たが、ここはかつてダイヤモンド・ジョー・エスポズィートが所有し、今はリッカが所有していた。

ポール・リッカがアメリカに来たのは、21歳の誕生日前だった。

ポール・デルチアと名乗っていたイタリアでは、17歳で殺人を犯し服役した。

関わっていた殺人は実は20件を下らなかったが、1920年に出獄するや自分に不利な証言をした男を殺して、国外に脱出したのである。

いったんニューヨークに着いた後、シカゴのダイヤモンド・ジョー・エスポズィートの下に送り込まれた。

そしてジェンナ兄弟の所で密造酒の販売を取り仕切ったり、ベラ・ナポリでウェイターをしたりした。

やがてエスポズィートに気に入られ、アル・カポネと肩を並べるまでになった。

エスポズィートが殺され、カポネもセントバレンタイン・デーの虐殺事件でアメリカ政府に目を付けられて懲役刑になると、リッカがシカゴ・シンジケートのボスになった。

ポール・リッカは、禁酒法の廃止で収入を失うのではないかという暗黒街の危機感を利用して、シカゴに全国のボスたちを集めて会議を行った。

出席したのはラッキー・ルチアーノ、ロッコ・フィスチェティ、ハリー・デュケット、シルヴェスター・アゴグリアらで、ルチアーノと一緒にマイヤー・ランスキーも来ていたが会議の間はロビーで待っているように命じられた。

リッカの配下の中では、ウェールズ人のマレー・ハンフリーズが最も組合活動に精通していた。

ハンフリーズは、今にシンジケートが労働組合を完全掌握すると見ていた。
そうなれば産業界全体を思いのままに操れる。

彼は1920年代の初めに、すでにシカゴ南部のドライクリーニング組合に攻撃をしかけ、支配の先鞭をつけていた。

労働組合を操るうちに、ハンフリーズは2つの事に気付いた。

1つは組合員に失業するぞと脅すことで、その家族まで利用でき、選挙さえ左右できること。

もう1つは、組合には資金が溢れていて、それを奪えること。

組合は乗っ取りのターゲットとなり、ムーニーら若い殺し屋たちに「組合に脅しをかけろ」と指令が下った。

ムーニーは、仲間のフィフィ・ブッチェリ、狂犬デステファノ、ニードルズ・ジアノーラ、チャッキー・ニコレッティ、ティーツ・バタリアらと共に、組合の幹部を脅していった。

ドライクリーニング組合に続いて、ビル業者、理容業者、映画技術者などの組合が立て続けに落ちた。

組合がなければ、ハンフリーズが作った。

人々は組合員にさせられ、雇用主たちは暴力沙汰を避けるためシンジケートに手数料を払うはめになった。

ポール・リッカらは、酒密売の仲間であるジョー・ケネディを、映画業界にもぐり込ませるため資金援助し、ハリウッドに足場を築いた。

ジョー・ケネディは、ダイヤモンド・エスポズィートがボスだった時代からシカゴ・シンジケートと関係があった。

ケネディは、デトロイトのユダヤ人マフィア「パープル」と密造酒をめぐって衝突し、命の危険を感じてシカゴに逃げ込みエスポズィートに仲裁を懇願した。

エスポズィートは頼まれた電話を入れ、その瞬間からケネディはシカゴ・シンジケートに大きな借りを作ったのである。

ポール・リッカは、ハンサムで口のうまいジョニー・ロゼリをハリウッドに送り込み、ロゼリは組合作戦をすすめて主だった撮影所から何百万ドルも引き出す話をまとめた。

そして「マフィア付き」のスター(俳優)が、法外な値で契約できる事となった。

マルクス兄弟、ジョージ・ラフト、ジミー・デュランテ、マリー・マクドナルド、クラーク・ゲーブル、ゲーリー・クーパー、ジーン・ハーロウ、ケーリー・グラント、ウェンディ・バリーなどである。

連邦にも州にも市にも、労働組合の資金や活動を規制する法はなく、1936年にはロサンゼルスの主だった組合はすべてシンジケートの支配下に置かれた。

労働組合の利権は、シンジケートの幹部たちにそれぞれテリトリーが与えられた。

組合から引き出した金は、他の非合法事業の利益と同様、いったんプールされてから分配された。
もちろん大将の取り分が一番多かった。

ムーニーは、「リッカやハンフリーズの組合の捌き方が実にいい」と、いつも言っていた。

マレー・ハンフリーズは高校出だが、仲間のほとんどは小学校もろくに出ていない。

ムーニーも小学校中退だが、計算と数字の記憶に関しては超人的な才能を持つことで有名だった。
ジョリエット州刑務所から戻ってからは、計算能力を買われて別格扱いになってきた。

「仲間を殺らなければならないか、あるいは敵を逃がすのか、そういう事をリッカとハンフリーズを見て覚えた」と、ムーニーは語っている。

特にハンフリーズに敬意を抱いており、「ベラ・ナポリ」でハンフリーズがなにか言うたびにムーニーが1年生みたいに真面目くさって聞くのを、弟のチャックはびっくりして見ていた。

ムーニーはハンフリーズを観察することで、力づくのやり方とは違う方法を学んでいた。

ハンフリーズは暴力を否定しているわけではなく、過去に何人も殺していたが、穏やかなやり口を好んでいた。

またハンフリーズは、キャメルのコートがトレードマークのお洒落な男で、「キャメル」がニックネームになっていた。

彼のエレガントさや、政治家や実業家とすぐに打ち解ける才能に、ムーニーは憧れていた。

ムーニーはますます身だしなみに気を遣うようになり、毎週「ロスチャイルド」へ出掛けてはスーツやネクタイを買い込んできた。

しかも妻アンジェも蔑ろにせず、いつも最新流行の服を着せるようにしていた。

(2018年10月5日に作成)


次のページを読む

前のページを読む

『ケネディ大統領の暗殺事件』 目次に戻る

『アメリカ史』 トップページに行く

『世界史の勉強』 トップページに行く

『サイトのトップページ』に行く