(『ダブルクロス アメリカを葬った男』チャック・ジアンカーナ著から抜粋)
ムーニーは、コーヒーを注文するような気軽さで、殺しの指令を下す。
仕事場では、無表情のまま何時間も黙って座っていることがよくあった。
しかしムーニーは、自宅では昔と同じだった。妻や娘を相手に感情を爆発させる。
弟のチャックは、何度かムーニーが妻のアンジェを殴っているのを見たことがあった。
アンジェは、夫が何人もの女と浮気しているのに気付いており、たまに非難する。
するとムーニーは「口を挟むな、俺が何をしようと口出しするんじゃない」と言い、殴る構えをして脅すのだ。
ムーニーは罪ほろぼしに、アンジェに服や指輪を買い与えていた。
ムーニーの姉レナは、トニー・カンポという男と惨めな結婚生活を送っていた。
トニーはムーニーの手下だが、取るに足りない存在だった。
おかげでレナや子供は貧乏に喘いでいた。
トニーのレナへの虐待は公然の秘密で、それが一層ムーニーの怒りを買った。
毎日のようにレナから助けを求める電話があったが、1938年12月の深夜に電話をうけたムーニーはついに怒りを爆発させた。
チャックを連れてレナの家に着くと、レナは家の外におり、殴られた跡が紫色のアザになっていた。家から追い出されたのだと言う。
ムーニーがドアをノックすると、トニー・カンポが顔を覗かせてドアを開けた。
ムーニーは、チャックに「そこにいろ」と言って室内に入り、酔いのまわった義兄の動きを見つめた。
「トニー、今度はいったい何事だ?」
「それだ、あいつはなっちゃねえ。亭主の言うこともわからん能無しだ。」
ムーニーはドアを開け放したまま、コートを脱ぎ椅子に座った。
「楽にしてくれムーニー、何か飲るか?」
カンポが、テーブルにボトルを置いた。
ムーニーはポケットに手を伸ばして銃を取り出すと、椅子から立ち上がった。
「もう飽き飽きだ、この下衆野郎」
ムーニーはトニー・カンポを椅子から引きずり上げ、獣のような唸り声と共に壁に突き飛ばした。
銃口を腹に突きつけ、片腕でカンポを壁に押しつける。
「ムーニー、頼む。腹を立てただけだ、レナを愛してる。」カンポが哀れな声を出した。
ムーニーは笑い、銃口をカンポの口に捩じこんだ。
「この引き金を引けばおしまいだ。ズドーン、そうしたいか?」
「ムーニーお願いだよ、二度と殴らねえ、約束する」
「約束?」ムーニーがせせら笑った。
「約束だと? お前は出来損ないのアル中だ、違うか?
答えろ、トニー。」
「そ…そうだ。ムーニー、お前の言う通りだ。」
「この銃をお前に食わせよう。味わえ、銃を味わうんだ。
冷たかないか?レバーを引けば温かくなる。うまいか、トニー。」
カンポの眼は恐怖でカッと見開いていた。
ムーニーがさらに銃を突っ込むと、喉がゲーッと鳴った。
「気分はどうだ? なぶり者にされたいか? されたくねーよな。
レナだってそうさ、二度とやるな。お陀仏になるぞ。」
ムーニーが銃を引き抜いた。
「とっとと出ていけ、気が変わって脳天を吹き飛ばす前にな」
カンポは家を飛び出していった。
帰りの車中、ムーニーは静かだった。
「なぜ殺らなかったんだ、野郎にはふさわしいだろ?」チャックが訊いた。
「姉や子供の目の前で殺ると思うか?
ましてカンポは大馬鹿だ。殺る価値もない。
俺はアル中やバクチ打ちには興味はねえ。酒やバクチに支配される弱い奴らだ。
哀れな羊どもだ。支配されるだけの人間だ。」
「だが、あいつは殺るべきだ」チャックは怒気を交えて言った。
「そう思うか、それじゃ殺ってみろ」ムーニーはポケットから銃を出した。
「いやいや、いいんだムーニー」チャックは慌てて制した。
「そうだろうぜ」ムーニーは声をたてて笑った。
「殺しはお前の思ってるようなもんじゃない。
時には親友同然の相手のこともある。
後をそっとつけ廻して、癖を探り出す。
根城はどこか、妻子はどこに住んでいるか、仲間は誰か、洗いざらい抉り出す。」
チャックは、ムーニーの眼元が突如生気を帯び、ギラリと光るのを見た。
「そうして機が熟したら、猫のように忍び寄る。
心臓の高鳴りが耳に伝わり、生きていることを実感する。味わったことのない生気を。腕や首筋の産毛が逆立つ。」
ムーニーはホッと息をついだ。
「死ぬほどやりたかった女と車の後部シートに居るくらい熱い、だが遥かに良い気分だ。
時にはじっくり楽しみたい事もある。
その時は奴と遊ぶ、少しおもちゃにしてやるさ。
連中はどいつも同じ事をする、命乞いだ。
ケリをつけにぶっ放すと、野郎はジャガイモ袋のように崩れ落ちる。」
ムーニーが含み笑いをした。
「事が終わりスーツに目をやると、奴の血が全身に…。
無性に腹が立ち、野郎をもう一度殺したくなる。」
ムーニーがまくしたてるにつれ、チャックの鼓動は高鳴り、胃がキリキリと痛んだ。
名状しがたい恐怖に襲われた。
それから1ヵ月も経たぬ1939年1月17日に、財務省のエージェントが酒の密造元を急襲し、配下もろともムーニーは逮捕された。
5月に裁判が始まり、減刑を示唆されたムーニーは無罪の主張を撤回して、懲役4年を言い渡された。
10月に連邦刑務所に送致された。
(2018年10月10日に作成)