(『ダブルクロス アメリカを葬った男』チャック・ジアンカーナ著から抜粋)
1946年12月に、イタリアに送還された後も影響力を保持していたラッキー・ルチアーノが、『コミッション』(全国のシンジケート協会に冠した名称、マフィアの全国組織のこと)の開催を呼びかけた。
アメリカ全土から36人の大物ギャングが集結したが、ハバナで開かれたこの会合にムーニー(サム・ジアンカーナ)も呼ばれた。
ムーニーは、彼らと同列と見なされるまでに出世したのだ。
ムーニーはハバナから戻ってくると、弟のチャックに言った。
「これから数ヶ月のうちに、さる大物が消される」
1947年6月に、ムーニは大得意だった。
「ビバリーヒルズのバグジー・シーゲルの件は聞いたか?
奴はシカゴの(刺客の)弾丸を2発も頭に喰らいやがった。」
「何をやったんだ?」チャックが聞いた。
「5年前、マイヤー・ランスキーがラスベガスにクラブ(賭場)を開くため、シーゲルを送り込んだ。
賭博場のフラミンゴを始めると間もなく、奴は大金をチョロマカシ始めた。
トップのコミッションを無視しやがったので、ハバナの会合で奴は葬ることに決まった。」
「驚いたな。今じゃ兄貴も内幕の人物ってわけだ。」
ムーニーは笑って言った。
「内部情報を知ってるだけだ。それにシーゲルの始末をつける役廻りもだ。」
(2018年10月15日に作成)