(ダブルクロス アメリカを葬った男 チャック・ジアンカーナ著から抜粋)
テディ・ルーは、エディ・ジョーンズが(ムーニーに脅されて)シカゴを去ったあと、後を継いで黒人ポリシー王となったが、絶え間ない死の恐怖にさらされながら生きていた。
ルーが生きている限り、ムーニーはシカゴ南部のポリシー場を支配できない。
ルーは黒人最後の抵抗者で、ヒーローになっていた。
ムーニーはテディ・ルーに手を引かせるために、ルーの家に爆弾を仕掛けたり、家族を脅したりした。
だがルーは屈しなかった。
ムーニーの手下たちは、なぜ殺し屋を使わないのか、いぶかっていた。
だが弟のチャックは、テディ・ルーがどこか兄の心に引っ掛かる存在なのだと見ていた。
ルーのようにムーニーに歯向かった者は、チャックの知る限り一人もいない。
だからムーニーは、屈折した敬意を抱いていたのだ。
ムーニーが一番求めていたのは、いくら金を積んでも動かない人間だった。
その男がここにいる、と思ったに違いない。
ようやく1951年6月19日に、ムーニーの配下3人がテディ・ルーを襲撃した。
ファット・レナード、ジミー・ニューヨーク、ヴィンセント・アイオリの乗ったリンカーンが道路脇に停まった時、ルーはこれで自分も終わりだと思ったにちがいない。
だが、ルーの雇っているボディガードたちが近くに居た。
いつもの勇気をふるって、暗殺者と対決すべくルーは向かった。
男が大胆に向かってくるのを見て、レナードらは顔を見合わせてニヤリと笑った。
「そろそろ行くか」とレナードは言いドアを開けた。
これが最後の言葉となった。
3人のイタリア人の足が舗道に着くやいなや、ルーとボディガードの両方から弾丸が雨と降り注いだのだ。
レナードは頭を撃たれて死に、残りの2人は車で逃げ去った。
逃げ帰った2人を、ムーニーは決して許そうとしなかった。
2人は命は助かったが、ムーニーの信頼を失った。
出世の道が閉ざされたのだ。
1952年8月4日の夜、テディ・ルーは再び襲われた。
家を出て車に乗ろうとしたルーを狙って、ムーニーの部下のショットガンが火を吹いた。
ルーは死んだ。
(2018年10月23日に作成)