(『ダブルクロス アメリカを葬った男』チャック・ジアンカーナ著から抜粋)
1952年8月末にチャックは、ムーニーから新しい仕事を紹介された。
「お前の気に入りそうな仕事がある。プラスティックだ。
その道に詳しい奴らの話じゃ、未来の素材で、そのうち何もかもがプラスティックになるんだとよ。
ジョー・エスポズィートに会いに行け。
奴がプラスティック工場を始める。ビニール袋を作るんだとよ。」
ジョーは、かつてシカゴ・シンジケートの大ボスだったダイヤモンド・ジョー・エスポズィートの息子だ。
「本当に上手くいくのかい?」チャックは口籠りながら訊いた。
「俺は色々とかじってみたんだ。
ウィリー・ポテトズにゃ清掃事業をやらせた。
ゴミは儲かるぜ。人間が増えるほどゴミも増える。
キューバじゃエビ、テキサスじゃ石油、ルイジアナじゃガス。
あっちゃこっちゃ手を出しすぎて、いちいち覚えちゃいられねえ。」
チャックが家に帰り、妻に新しい仕事の話をすると、妻は言った。
「プラスティック? なにそれ」
1953年になりチャックがプラスティックの本を読み漁ると、これから持て囃される素材だと確信できた。
だがシンジケートの仲間たちは同じ見方をしておらず、工場をなかなかスタートさせられなかった。
ムーニーから新しい仕事を与えられたのは、チャックだけではなかった。
トニー・アカードとポール・リッカの同意を得て、ムーニーは配下のマーシャル・カイファノをラスベガスに送り込んだ。
それまでラスベガスにおけるシカゴ代表だったジョニー・ロゼリは、マーシャル・カイファノに道を譲り、ハリウッドやロサンゼルスに拠点を移した。
ブラウン=ビオフ事件で詐欺罪に問われ服役したロゼリは、1947年に出所して以来、ロサンゼルスとラスベガスのカジノの目付け役だった。
ジョニー・ロゼリはハリウッドが大好きで、映画を数本作り、大スターと交際していた。
ロゼリは、役に立ちそうな若手スターを探していた。
ムーニーが解説する。
「奴らは運び屋になれるのよ。
みんなスターに目が眩んじまって、サインをねだるのに夢中で鞄の中身に気が回らんのさ。」
役に立ちそうなのを見つけると、ロゼリはムーニーに連絡した。
ムーニーは、スターの卵に仕事や契約を取り計らってやる。
その代わりに、何かを頼まれたら恩返ししなくてはならないのだ。
「シカゴ・シンジケートは、ロナルド・レーガンからエド・サリヴァンまで助けてやった」とムーニーは言う。
シンジケートの影響力は、スポーツ界にも広がっていた。
チャックでさえ、ボクシングや野球の一番良い席を始終回してもらっている。
ムーニーによれば、スポーツから暗黒街が利益を上げるようになった始まりは、ルーイ・ジェイコブズという男にあるという。
ジェイコブズは大恐慌の時に、フランク・コステロたちとラム酒を密売した。
この儲けを、競技場の売店ビジネスに投資したのである。
シカゴのビル・ヴィークがオーナーになっているメジャー・リーグの3つのチームが資金集めした時も、ジェイコブズは仲介役として活躍した。
ムーニーは言う。
「野球チームのオーナーに、そらあ俺たちの名前は出ねえさ。
だが金は俺たちが出してるんだ。
競技場の売店をジェイコブズにやらしているのは、まあ見張り役ってとこさ。
資金繰りに困ってるオーナーがいれば、ジェイコブズが知らせてくる。
俺たちは手を貸して、おいしい所をいただくのよ。
どのスポーツも、そういう事になってる。」
スポーツ選手たちにも、シンジケートは喰い込んでいた。
ムーニーは言った。
「ジョー・ディマジオ、ミッキー・マントル、ウィリー・メイズの3人の野球選手は、フランク・コステロが借りているホテルのスウィート・ルームに入り浸りなんだ。
女もあてがってる。
シュガー・レイ・ロビンスン(伝説的なプロ・ボクサー)を呼び出して、100万ドル出すからグラズィアーノとの試合はわざと負けろと言った。
次の試合は必ず勝たせると言ってやったが、奴は蹴りやがった。
ロビンスンは男だぜ。」
プラスティック事業はうまく行かず、1953年6月にチャックとエスポズィートは倒産の申し立てをした。
自己資金を1万ドルも注ぎ込んだのに、敗北したのだ。
その夏の間、無為に日々を過ごすチャックを、妻のアン・マリーは見ているしかなかった。
チャックは不機嫌な暴君となったが、新しい仕事の話は兄からこなかった。
やがて金が底をついたが、アン・マリーはなぜチャックが他の仕事を探してはいけないのか理解できず、戸惑っていた。
「ムーニーから仕事がもらえないなら、あなたが自分で仕事を見つけたっていいんじゃないの?」と、彼女は何度となく言った。
チャックは妻に毒づいた。
「良いものを着て、いつでも新車を買いたいなら、俺たちはムーニーの指図に従うしかないんだ。」
(2018年10月23日に作成)