(『満洲国とは何だったのか』<日中共同研究> 岡部牧夫の文章から抜粋)
関東軍が1931年9月に満州事変を起こすと、日本人居留民から多くの協力者が出た。
協力者を供給して実務面を支えたのは、『満州青年連盟』だった。
この連盟は、1928年に大連で設立され、満鉄の少壮職員、自営業者などの青年層を組織した。
地方に支部を拡げて、翌29年には会員数が2700人に達した。
会員たちは、中国での民族主義や張学良政権の反日政策を見て危機感を抱き、倒錯した被害者意識を持って、中国に対する強硬論に傾斜した。
満州青年連盟の理事である山口重治は、満州事変で止まった中国側の鉄道、「瀋海鉄路(瀋陽~海竜)」の運行再開を関東軍から委託され、丁鑑修(のちに満州国政府の交通部総長)を長とする管理機関を設置した。
山口重治はさらに、連盟の長春支部長・小沢開作らと、張学良政権の交通行政を握っていた東北交通委員会を改編し、日本側に取り込むことに成功した。
満鉄は、新しい交通委員会に多数の顧問・参事を送り入れ、ライバルだった中国側の鉄道を支配下に置こうとした。
山口重治らは、地方の地主や商人を代表する農務会や商務会に接触し、経済活動を再建させた。
満州青年連盟の理事・是安正利らは、産業復興所を設置して、瀋陽の電灯廠、軍工廠、紡績工場などの接収と復旧にあたった。
上に書いたように日本人は、満州の官僚や有力者層を日本に協力させる事に成功した。
山口重治らはこれを「民族協和」と称し、関東軍参謀の石原莞爾の支持を得て、その理念を実践する組織として『満州協和党』を立ち上げた。
しかし関東軍は、協和党を認めず、その構想を元にして官製の組織として『満州国・協和会』の設立を計画した。
こうして1932年7月に協和会が発足し、満州国執政の溥儀が名誉総裁に、国務総理が会長に就き、満州国政府の高官と民間の有力者が理事に名を連ねた。
『協和会』は、1934~36年に改組を実施し、官吏の協和会役員への兼任を進めて、組織の官僚性を高めた。
そして36年7月に『拡大協和会』が発足した。
ついで9月18日の満州事変・5周年記念日に、植田謙吉・関東軍司令官の名で「満州帝国・協和会の根本精神」という文書が発せられた。
この文書は、協和会を「満州国政府の精神的な母体」と位置づけた。
上の文書よりも重要なのは、前後して作成され一部の関係者に流布した「満州国の根本理念と協和会の本質」という文書である。
そこには関東軍の本音が語られているが、次の内容である。
①
満州国の皇帝は、天意すなわち天皇の大御心に基づいて帝位に就いたもので、天皇に仕えるのが在位の条件である
②
満州国の皇帝は、天皇の下で満州国の建国理念を実現するための、機関である
③
関東軍司令官は天皇の名代として、「皇帝の師傳たり後見人たるべきもの」である
つまり、天皇→関東軍司令官→満州国皇帝という上下関係である。
関東軍と満州国軍の治安作戦に随行して、宣撫工作を行ってきた協和会は、1936年から中国共産党に対抗する「廃共運動」を実施し、民衆への反共思想の宣伝を強化した。
同時に、それまでの精鋭会員主義を改めて、会員の拡大を図った。
協和会員は、1934年には30万人だったが、38年には100万人を超え、42年には321万人、43年には412万人と激増した。
協和会は、1940年から都市部で、闇取引の監視、統制価格の維持、物資の配給などの業務を担当するようになった。
その結果、協和会に属さないと生活必需品の配給を受けにくくなったが、会員数を押し上げる原因になった。
また協和会は、満州国政府の方針をうけて、青年団や少年団を統合して38年に「協和青年団」「協和少年団」を創設し、強力なイデオロギー教育を行った。
さらに同じ38年に、青壮年の男子を動員して、民間警察の「協和義勇奉公隊」をつくった。
他方で協和会は、34年から地域や職種の代表者を集めて討議する「連合協議会」も開催した。
連合協議会は、県旗、省、全国の3レベルがあり、重要な議案は上級の協議会に回付された。
連合協議会は、議会に代わって民意を吸収するものとされたが、実のところ議案は事前に本部で選別され、議事は非民主的な衆議統裁制で処理された。
衆議統裁制とは、ナチズムにならって、多数決によらず議長が専決する方式である。
1941年には「国民隣保組織」が制度化され、日本の町内会や部落会と同様に、満州国の住民の強制的な組織化がスタートした。
この隣保組織は、協和会・分会の下部組織に位置づけられた。
これにより協和会の農村浸透が一挙に進んだ。
1943年からは、農村の自然集落である「屯」を、行政村、興農合作社、協和会の3系統の末端組織に再編する、「村建設の運動」が展開された。
そして増産のための作付けの強制や、集荷対策が、協和会の業務とされた。
こうして協和会は、民衆を統制下に置き、戦争協力に駆り立てたのである。
(2020年10月30日に作成)