(『馬占山と満州』翻訳・陳志山、編訳・エイジ出版から抜粋)
1938年5月に、日本軍が黄河に向かって進撃する中で、中国・国民党政府の内部では「水攻め」が提案された。
黄河の大堤防を爆破して、黄河の洪水で日本軍を攻撃するというものである。
蔣介石はこの作戦を承認し、38年6月9日に蔣在珍の兵団が、花園口の大堤防を爆破した。
12日に大雨が降り、黄河の水は南に氾濫していった。
この氾濫のために、水没した部落は約3500、罹災民は60万人、行方不明者は12万人にのぼった。
だが肝心の日本軍を抑えることは出来なかった。
「花園口事件」と呼ばれるこの暴挙で、国民党政府は内外の世論の激しい非難を受けた。
(2021年6月19日に作成)